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福岡高等裁判所 昭和63年(行タ)1号 決定 1988年7月11日

申立人 荒木マキ ほか三名

相手方 熊本県知事 ほか一名

代理人 星野雅紀 島田清次郎 飯村敏明 河村吉晃 大谷昂士 安齊隆 永松健幹 比嘉俊雅 ほか六名

主文

相手方熊本県知事が熊本県庁内に保管する申立人渕上千代子、亡荒木松男、亡山内愛子に対する認定手続、相手方鹿児島県知事が鹿児島県庁内に保管する申立人御手洗鯛右に対する認定手続において各作成した検診録の原本、原本が存在しない場合には謄本(正写文言のあるもの)を提出せよ。

理由

一  本件申立ての趣旨は主文同旨、その理由は別紙「申請の理由」記載のとおりであり、本件申立てに対する相手方らの意見は別紙「意見書(一)(二)」記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  先ず、相手方らにおいて、本件申立ては、昭和六〇年七月五日第一審である熊本地方裁判所において棄却決定された文書提出命令と当事者及び申立理由を同じくするものであるから、判決における既判力の規定が準用され、不適法であり許されない旨主張するので、その適法性について考えるに、決定又は命令にあつては、一般に、訴訟費用に関する決定(民訴法一〇〇条、一〇四条)、支払命令に対する異議却下の決定(四四一条)等実体的関係を終局的に解決する決定を除き、その性質上既判力を有しないと解すべきであるところからすれば、実体的関係を終局的に解決するものでない文書提出命令に関する決定が既判力を有しないことは明らかであるから、本件申立ての適法性に欠けるところはなく、この点の相手方らの主張は理由がない。

2  そこで、申立人らの民訴法三一二条三号後段の主張について検討を加える。

民訴法三一二条三号後段にいう「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成セラレタ」文書とは、挙証者と文書の所持者との間の法律関係それ自体を記載した文書だけではなく、その法律関係に関係のある事項を記載した文書ないしは、その法律関係の形成過程において作成された文書をも包含すると解すべきところ、これを行政庁のなした行政処分の違法を主張してその取消を求める抗告訴訟に即してみれば、当該行政処分がなされるまでの所定の手続の過程において作成された文書であつて、右行政処分をするための前提資料となつた文書をも包含するものと解するのが相当である。けだし、行政処分は、もともと国民のために公正かつ明朗な手続を経て行われるべきものであり、かつ行政処分をするための手続の過程において作成される文書の多くは、行政処分の適正・公平を担保するために作成されるものであるから、行政処分の取消を求める抗告訴訟において、前記のように解しても文書の所持者である行政庁に対し不当な不利益を課することにはならないと言えるし、また一方、行政処分の違法を争う相手方である国民は、右行政処分がなされるまでの手続の過程において作成される文書を所持していないのが通常であつて、かかる立証に必要な文書を所持していない挙証者である国民の不利益を補うことにより、抗告訴訟において要請される実体的真実の発見に寄与することになるからである。

ところで、記録によれば、申立人らが本件申立てにおいて提出命令を求める文書(以下「本件文書」という。)は、各検診医が水俣病認定申請者を検診し、各申請者について審査会の審査に必要と認められる所見を記載した書面であるが、審査会の審査は、審査会委員において、更に、本件文書を基に要約転記した資料に基づいて行われることが認められるところからすれば、本件文書が水俣病認定手続の過程において作成された文書であり、かつ、水俣病認定処分のための前提資料であることに疑問を挿む余地はないといわなければならない。

相手方らは、本件文書作成の目的がもつぱら審査会資料の収集にあることを理由に、本件文書は相手方らの自己使用のための備忘録的性格を有する内部文書であるから民訴法三二一条三号後段の文書に該らない旨主張するが、たとえ本件文書が相手方ら主張のように自己使用の目的から作成されたものであつても、同時に水俣病認定処分に関し前示のような関連性を失わない性格のものである以上同法三二一条三号後段にいう「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成セラレタ」文書としての性格を有するものと認めるを妨げないのである。この点の相手方らの主張は当裁判所の採用しがたいところである。

3  更に、相手方らは、仮に本件文書が民訴法三二一条各号所定の文書に該るとしても、水俣病認定の過去の経緯に徴して、相手方らには本件文書の提出を拒絶すべき正当な事由がある旨るる強調するので、以下この点について当裁判所の見解を述べることとする。

一件記録によれば、過去における水俣病認定手続においては、例えば昭和四九年夏に実施された集中検診において検診医が辞退するなどの混乱が生じ、その結果、相手方らは検診医に対し検診録は一切公表しないことを条件に検診業務の再開を承諾してもらつた事実があり、その後も検診医ないし審査会委員と水俣病認定申請者の間における手続上の苦情、摩擦、刑事告訴、告発事件の頻発及び審査会委員に対する度重なる辞任要求等数多くの混乱が生じ、その都度、相手方らは公私の関係機関、検診医、審査会、大学関係者等と協力して公平、迅速な善後策の実行のため腐心を続けてきた経緯があること、右検診及び認定業務の混乱の一因として、水俣病認定申請患者協議会又は水俣病患者連盟を中心とする検診方法等に対する誤解、曲解、不知、無理解等に基づく理由のない又は過度の抗議行動があつたこと、したがつて、本件文書が法廷に顕出されることにより、相手方らにおいて、例えば検診医の氏名判明による検診医に対する個人攻撃、引いては検診医の大量辞退等今後の水俣病認定業務にとつて不必要な新しい障害の発生を懸念するであろうことは容易に推知できるところである。

しかしながら、申請人ら自身が過去において水俣病認定業務の公平、迅速な実施を妨害した事実は本件全証拠によるもこれを認めるに足りるなんらの証拠がないのみならず、水俣病認定申請者協議会ないし水俣病患者連盟及び検診医ないし審査会等の右認定のような行動又は対応に対しても、相手方らは、行政の責任者として、事件発生の規模、性格等水俣病に特有な歴史的意義に鑑み、困難であつても、公平かつ迅速な認定業務の遂行のため最大限可能な善後策の確立実行の努力を継続すべきものであつて、その努力次第では本件文書の法廷顕出によつても認定業務の進捗状況に支障を生ぜしめるおそれは必ずしも予測できないばかりか、たとえ若干の支障が生ずるとしても、前示のような本件文書の民訴法三二一条三号後段所定の要件該当性に鑑み、それが本訴水俣病認定申請棄却処分取消請求について本件文書の提出を拒絶すべき正当な事由とならないことは多言を要しないといわなければならない。この点の相手方らの主張も当裁判所の採用しないところである。

4  よつて、申立人らの本件申立ては理由があるからこれを採用することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 美山和義 鍋山健 江口寛志)

(別紙) 申請の理由

相手方のなす認定手続の概要は、申請者を検診し、その結果をいわゆる検診録に記録し、更に検診録を審査委員等が要約していわゆる審査資料を作成し、その審査会資料に基づいて審査会委員が審査するというものである。

従つて、申請者の申請当時の病状を正確に認識する為には、検診録をおいて外にないことは自明の利である。

ところが、相手方は審査会資料のみを提出し、検診録を提出しない。

ところで審査会資料は認定手続からみると再伝聞証拠であり、正確に要約したことの保証はまつたくない。

かえつて、一審証人訊問を通じて、審査会資料が極めて不確定であることが明らかとなつた。

従つて、審査会資料と検診録とでは本件を審理する上で、その証拠価値はまつたく異なるのである。検診録なくては、真実の発見はおよそ不可能である。

ところで、相手方は、控訴審において、「審査会資料」を唯一の根拠として原判決を批判しているが、そもそも審査会資料の記載が正確であるという保証がなければ、相手方の批判は論理的にまつたく意味がなくなつてしまう。従つて、相手方の原判決批判が正当か否かも、一つにかかつて検診録を確認することによつてのみ明らかとなるのである。

しかも、控訴人が一審で検診録提出拒否の実質的理由として唯一挙げた理由は、検診医の氏名を明らかにすると申請者側に悪用されるというものであつたが、控訴人も、一審後検診医に対し圧力等が加えられたことは一件もないことを法廷で認めているのであるから、右拒否理由が中傷以外のなにものでないことは明らかである。

そもそも、本件において相手方は申立人らが水俣病でないことの主張・立証責任は相手方が負うと言明している。

そうであれば、この主張の正否を最も端的に証明する証拠の提出の義務も当然相手方が負うべきである。

しかも、相手方が福祉の責任を負つている県民の水俣病罹病の有無が公的に問われている以上、より正確な資料に基づき真実が判断されねばならないことは当然であろう。

なお、本件申請の証拠としては、昭和六二年一月一日から熊本県情報公開条例の実施があつたことを援用するほか、検診録は申立人が検診に応じて作成されたものであり、第一次的には申立人自身に使用・閲覧の権利があるものであり、第二次的には相手方の認定の利益の為に作成された書面であるから、提出されるべきである。その上、相手方は提出済みの審査会資料はそれぞれ、検診録を要約・引用したものであると再三主張しており、引用文書でもある。

従つて、検診録はいずれにせよ民事訴訟法第三一二条一乃至三号のいずれかに該当する文書である。

(別紙) 意見書 (一)

申立人らは、水俣病認定手続きにおいて作成された検診録(カルテ)を、申立人御手洗鯛右については、相手方鹿児島県知事が、申立人渕上千代子、亡荒木松男及び亡山内愛子については、相手方熊本県知事がそれぞれ所持しているとし、右検診録(カルテ)は民事訴訟法三一二条一号ないし三号のいずれかに該当する文書であるとして文書提出命令の申立てをなした。

しかしながら、申立人らの本件文書提出命令申立ては、左記理由により却下されるべきである。

一 民事訴訟法三一二条二号、三号前段、後段に該当するとの主張について

1 申立人らは、本件第一審において、検診録(カルテ)について、民事訴訟法三一二条二号、三号前段、後段に該当すると主張して、文書提出命令を申立てたが、右申立てについては、昭和六〇年七月五日、理由がないから棄却する旨の決定がなされ、右決定は確定した。

一般に決定については、その性質に反しないかぎり判決に関する規定を準用すべきであるとされているところ(民事訴訟法二〇七条)、文書提出命令申立てに関する決定については、文書提出義務が法律上規定されているほか、申立ての方式も法定され、厳格に要件の存否を審理した上で判断されるものであり、決定に対しては即時抗告をもつて不服申立てをすることができる旨規定されていることからすれば、右決定について既判力の規定が準用されると解すべきである。

これを本件についてみるに、第一審における文書提出命令の申立ては、右文書には申立人ら(荒木マキについては亡荒木松男)の検診データが記載されており、同人らが水俣病に罹病していることを立証するのに必要であること、本件文書は法三一二条二号、三号前段、後段に基づく文書であることを理由としてなされたが、右決定は、申立人らの主張はいずれも理由がないとしてこれを棄却(却下)したのであるが、本件申立ては、右第一審におけるのとまつたく同一の申立人らから同一の相手方らに対し、同一の理由でなされたものである。そうであるとすれば、本件申立ては、既に棄却された文書提出命令申立てと異なるところは何らなく、すでに前記決定の既判力に抵触するところであり、不適法な申立てとして却下されるべきである。

2 仮に、文書提出命令に対する決定に既判力の規定が準用されないとしても、本件申立てに理由がないことは、相手方らの昭和五七年一〇月一四日付け意見書のとおりであつて、相手方らは、法律上の提出義務を負うものではない(その趣旨は、右決定でも採用されているところである。)。

なお、熊本県においては昭和六二年一月一日から熊本県情報公開条例の実施があつたことを本件申立ての一理由とするようであるが、同条例による文書の公開の可否は、もつぱら同条例の趣旨・目的と手続に従つて実施されるのであり、同条例の施行により民事訴訟法に定める文書提出命令の消長が左右されるべき根拠となりえないことは多言を要しないところである。

二 民事訴訟法三一二条一号に該当するとの主張について

法三一二条一号にいう「引用」とは、当事者が口頭弁論等において、自己の主張の裏付けとして、文書の存在及び内容を明らかにすることを指すものと解すべきであり、また、文書を引用した当事者に文書提出の義務を負わせることとしたのは、これを所持する当事者が、文書の存在等を積極的に主張して裁判所に自己の主張が真実であることの心証を一方的に形成させる危険を避けるためであり、それには当該文書を提出させて、相手方にも利用させるのが、公平の見地からみて望ましいとの趣旨に基づくものである。

したがつて、当該文書の存在及び内容が口頭弁論等において明示されることがあつても、文書の存在及び内容により、当事者の主張の真実性を積極的に強めようとする意図が何ら存在しないような場合には、文書の存在及び内容の明示は、本条の「引用」には該当しないものというべきである(東京高裁昭和四〇年 月二〇日決定東高民時報一六巻五号九五ページ、福岡高裁昭和五二年七月一二日決定下民集二八巻五~八号七九六ページ等)。

相手方らは、申立人らが提出を求める検診録(カルテ)につき、本件訴訟の過程で、その存在について言及したことがあつたとしても、右文書の内容等をもつて積極的に自己の主張を構成し、それを基礎付けあるいは自己の主張が真実であることの心証を一方的に形成させるなどの目的で引用した事実がないことは明らかである。これは、検診録(カルテ)が、本来審査会に認定業務の過程で基礎となる審査会資料を作成するために、情報収集の目的で作成された文書であるという、いわば内部文書ないし備忘録としてもつぱら自己使用のためにのみ作成されたという本件文書の性質からして当然のことである。

よつて、相手方らは、民事訴訟法三一二条一号による提出義務を負わないものというべきである。

三 文書提出を拒絶すべき正当な事由があることについて

検診録(カルテ)の提出が水俣病認定行政に及ぼす影響については、前記意見書二、5、(四)で詳述したとおりであるが、特に次のような事情があり、医師の人権の確保、検診医の確保及び検診録の真実性確保という文書提出を拒絶すべき正当な事由があるので、相手方らは、検診録(カルテ)の提出義務を負わないものである。

1 昭和四九年の集中検診における混乱について

昭和四九年夏に実施された集中検診において、検診医が辞退するなどの大混乱が生じた後、「検診録は一切公表しないこと」を条件として検診に従事することを医師に承諾してもらつた経緯については、前記意見書二、5、(四)、(1)において詳述したとおりであるが、その要点を述べれば次のとおりである。すなわち、昭和四九年夏に実施された集中検診において、水俣病認定申請患者協議会(以下「協議会」という。)は、集中検診が杜撰・乱暴であるとして、「検診カードに担当医師の署名捺印をさせよ。」、「医師の氏名を明らかにせよ。」及び「検診の資料を審査会の資料に使用するな。」等の要求を繰り返した上、検診に従事した医師全員に対し申入書を送付したり、大学の研究室や病棟に押しかけるなどしたため、各大学等から検診への協力が得られなくなり、熊本県(以下「県」という。)としても検診を中止せざるを得なくなつた。そして、各大学等の検診医は、検診カードへの検診医の署名捺印要求、診断書の交付要求、申入書に対する回答の要求等の協議会の要求行動を中止すること、大学病院等への押しかけをしないこと等を検診再開の条件としたため、県は協議会等の申請者側と話し合い、さらに、熊本大学と折衝を重ね、熊本大学の各教室に対し、「申請者、申請者団体との間でトラブルが発生するようなことで医師に迷惑を一切かけない。検診録は一切公表しない。」ことを条件として呈示し、数度にわたつて協力依頼を行つた結果、ようやく検診に従事することを医師に承諾してもらつたものである。

2 検診医に対する苦情について

申請者から検診医に対し検診について理由のない苦情が出されたことについては、前記意見書二、5、(四)、(2)において詳述したとおりであるが、その後、昭和六二年六月三日協議会等は、水俣病検診センターを訪れ、同年五月三〇日受診した申請者がどういう検査が行われるかも知らされないまま検診医に足首などの筋肉数ヵ所にいきなり針を付き刺され、その際の痛みが二日間続いて眠れなかつたこと及び指定時刻前に訪れているにもかかわらず時間を守るようにと注意されたとして強く抗議した(<証拠略>)。

しかしながら、前記意見書2、5、(四)、(2)において述べたように右のような苦情は申請者団体等との話合いの席等でしばしば耳にすることであり、そのような苦情を受けるたびに県は事実確認等の調査を行つているが、その結果はいずれも受診者の誤解、曲解に基づくものや、検診方法等の不知、無理解等によるものである。検診医は、昭和四九年の集中検診をめぐる混乱等の経緯も踏まえ、厳正、公平を旨として検診に携わつており、かかる言動等は、いわれなき非難、中傷というよりほかなく、これが検診医を確保する上での障害ともなつているのである。

3 検診医等に対する告訴、告発について

協議会等は、次のとおり審査会委員及び検診医等を殺人罪や障害罪等で告訴、告発している。

(1) 昭和六一年六月四日協議会等は、審査会の三島会長及び現委員・元委員らは知事の諮問機関として事実上の水俣病患者認定の権限を有していながら適切な認定処分をしなかつたため三百人余りの患者を死に至らしめたとして、同人らを未必の故意による殺人罪・同ほう助罪で告発した。

また、同時にある申請者の遺族は申請者が死亡したのは三島会長らが不作為状態を知りながら申請を無視したとして、同人を殺人罪で告訴した(<証拠略>)。

(二) 昭和六二年六月一〇日協議会及び水俣病患者連盟等は、前記2、(二)で述べた事例について、検診で苦痛を与えられたとして、検診医を傷害罪で告訴、告発した(<証拠略>)。

(三) 昭和六二年八月五日ある申請者は、「昭和六一年八月二二日に受診した際、持病のめまいがひどくなつたので検診医か検査技師に訴えたが、予定通り眼科の検診が続けられた。このため同月二七日に倒れて入院し、左半身まひと診断されたが仕事はできない状況にある。これは当然の注意さえ払つていれば防げたものであり、刑法に触れる。」として、検診医あるいは検診センター職員を氏名不祥のまま告訴した(<証拠略>)。

(四) さらに、協議会等は、昭和六二年六月二〇日検診センター前に、検診で不快な思いをした時はすぐ連絡するようにとの申請者に対する呼びかけとともに、「申請者に激しい苦痛、不安、後遺症を与えた場合には検診医等を傷害罪で告訴、告発する。」旨記載した「水俣病検診医に告ぐ」という二メートル四方の看板を設置した(<証拠略>)。

4 審査会委員に対する辞任要求について

協議会等は、次のとおり検診医でもある審査会委員に対したびたび辞任を要求するなどの行動を行つた。

(一) 昭和五六年五月三〇日協議会等は、審査会代表との話合いの席上、「審査会は被害者切り捨てに手を貸している。」として審査会委員、専門委員の辞任を要求した(<証拠略>)。

(二) 審査会の岡嶋副会長は、水俣病民事第二次訴訟控訴審においてチツソ株式会社(以下「チツソ」という。)の申請に基づき証人として採用されたか、昭和五七年二月二五日協議会等は同人に対し、「出廷することは、チツソに加担するもので、委員としての倫理にもとるものである。」として証人として出廷するならば委員の職を辞任するよう申し入れ、その後、県に対し、同人の解任を要求した(<証拠略>)。

(三) 昭和五七年九月一七日協議会等は、三島審査会会長に対して認定申請患者の大量切捨てを行つているとして委員再任を辞退するよう申し入れ(<証拠略>)、さらに、昭和五八年七月二六日熊本県知事に対し、同会長の即時解任を要求した(<証拠略>)。

(四) 昭和六一年三月二七日協議会等は、本訴訟の第一審判決を受けるや熊本県知事に対し、審査会の解散及び県申請の証人として証言した岡嶋副会長の罷免を要求した(<証拠略>)。さらに、同年四月二五日協議会等は、審査会委員の辞任を要求する文書を持参の上、審査会委員との面会を強要して審査会会場に押しかけ、会場外でマイクを使つた抗議行動を行つたため、会場一帯がけん騒な雰囲気となつた(<証拠略>)。

5 以上のような次第であるから、検診医に対し理由のない苦情が寄せられるばかりか傷害罪等で告訴されている現段階で検診録を提出すれば、申請者又は申請者団体から検診医個人に対する攻撃が予想され、検診医との間の前記1記載の約束に反するばかりでなく、検診医の大量辞退も予想される。更に、仮にそのまま検診を続ける場合にあつてもトラブルをおそれるあまり、水俣病の有無の判断に必要とみられる事柄であつても書き落とすというような事態が生じることも当然予想される。

なお、鹿児島県においては、熊本県の場合に比較し、いきさつは異なるが、予想される事態は全く同じである。

したがつて、検診録(カルテ)の提出は、今後の検診業務の遂行に多大な支障を来すものというべきであり、相手方らには本件文書の提出を拒絶すべき正当な事由があり、本件文書提出の義務を負わないものである。

四 以上の次第であるから、申立人らがなした文書提出命令の申立ては、却下されるべきである。

(別紙) 意見書 (二)

一 本件文書の性質について

本件文書は、各検診医が水俣病認定申請者を検診し、各申請者について審査会の審査に必要と認められる所見を記載した書面であつて、審査会の審査資料となるのではない。すなわち、審査会委員は、豊富な経験に基づき右検診録(カルテ)を基にして、更に審査会の審査に必要かつ十分な記載内容を要約転記して審査会資料を作成し、審査会においては、全委員に右審査会資料のみを配付し、右審査会資料に基づいて審査が行われる。

さらに、水俣病認定審査のための検診は、診療契約に基づいてなされるのではないし、また、病気の治療を目的とするものではなく、申請者が水俣病であるか否かを判断するための資料収集の目的でなされるものである。

右のとおりであるから、検診録(カルテ)は、通常の検診録と異なり、右資料収集の過程における検診結果を記載し、もつぱら後日右審査会資料を作成する際に資するために作成された自己使用のための備忘録的なものであり、後日法廷に証拠として提出することを全く予定していない文書である。

二 民事訴訟法三一二条一号に基づく主張について

一般に、当該文書の存在及び内容が口頭弁論等において明示されることがあつても、文書の存在及び内容により、当事者の主張の真実性を積極的に強めようとする意図が何ら存在しないような場合には、文書の存在及び内容の明示は、民事訴訟法三一二条一号の「引用」には該当しないものというべきである。

相手方らは、申立人らが提出を求める検診録(カルテ)につき、本件訴訟の過程で、その存在について言及したことがあつたとしても、前述のとおり本件文書が審査会資料を作成のための資料収集の目的で作成された内部文書であるという性質上、右文書の内容等をもつて積極的に自己の主張を構成し、それを基礎付けあるいは自己の主張が真実であるとの心証を一方的に形成させるなどの目的で引用したことはない。

申立人らは、「相手方らが準備書面において検診録の作成方法と利用法を説明し、検診録が認定手続きに必要不可欠な文書であることを主張している。」旨主張しているが、相手方らは、準備書面において認定審査会における審査資料である「審査会資料」の作成の過程について説明したにすぎない。また、相手方らの主張はすべて審査会資料の記載に基づいているのである。したがつて、申立人らの右主張は失当である。

以上のとおり、相手方らは、民事訴訟法三一二条一号による提出義務を負わないというべきである。

三 民事訴訟法三一二条二号に基づく主張について

申立人らは、相手方らに対し、検診録(カルテ)たる本件文書の引渡し又は閲覧を求めることができる旨主張しているが、実体法上申立人らに本件文書の引渡し又は閲覧を請求する権利が認められていないことは明らかである。

したがつて、相手方らは、同法三一二条二号による提出義務を負わないというべきである。

四 民事訴訟法三一二条三号前段に基づく主張について

民事訴訟法三一二条三号前段にいう「挙証者の利益」のために作成された文書とは、「後日の証拠のために、又は、権利義務を発生させるために作成されたものであり、挙証者の地位、権限又は権利を示す文書をいう。」(斎藤・注解民訴法(5)二〇〇ページ)のであるが、本件文書は、前記一で述べたように内部文書ないし備忘録として自己使用のために作成された文書であるから、申立人らの利益のために作成された文書とは到底いえない。

したがつて、相手方らは、同法三一二条三号前段による提出義務を負わないというべきである。

五 民事訴訟法三一二条三号後段に基づく主張について

弁論主義を基調とするわが民事訴訟法の下において、証拠の提出は当事者の責任に委ねられており、証拠を提出するか否かは原則として当事者の自由に属するのである。同法三一二条が、一号ないし三号所定の場合に、文書の所持者に対して証拠としての提出義務を課したのは、前記証拠提出についての自由という原則に対する例外を定めたものといわなければならない。また、法が例外規定を設けるとともに、提出義務の範囲を右各号所定の範囲に限定した趣旨は、一面において、争点の解明に役立つ証拠資料は、出来るだけ法廷に提出させて訴訟上の真実を発見しようとする反面、当該文書の所持者に不必要な不利益を及ぼすことをさけようとするにあると解される。したがつて、同条三号後段の「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成セラレタル」文書の意義についても、右の法意に則して、実質的に検討することが必要であり、所持者の処分の自由の観点からして、所持者がもつぱら自己使用のために作成した内部文書は、右文書に該当しないといわねばならない。

ところで、本件文書は前記一で述べたとおり内部文書ないし備忘録として自己使用のために作成された文書であるから、「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成セラレタル」文書とは到底いえないことは明らかである。

したがつて、相手方らは、同法三一二条三号後段による提出義務を負わないというべきである。

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